2013年10月16日 07:52
要約筆記で”笑えない”話し 2013年10月15日 (火)
松本で開かれた「要約筆記」利用者と通訳者との意見交換会・・・・
司会者からの「市の要約筆記の質の向上を目指している」ので忌憚ない意見を・・・という問題提起を元に、女性会員のNさんから発言がありました。
「トーク講演会で、会場が沸いても要約筆記を利用していても意味が分からない。一緒になって笑うことができない」、「会場で挙手を求められても、反応できない」という趣旨でした。
このような苦い体験は私も講演会などに参加して何度もしています。
これに対して、要約筆記者からの意見は、
「要約筆記の技術の向上が足りない(目指すべき)」とか「カットシートを用意するなどして対応可能」といったものでした。
模範解答的には「要約筆記は話しの本筋を連続して意訳しているので、選択肢として”笑い”のような枝葉は省かざるを得ない・・・」のようです。
・・・しばし、考え込んでしまいました。そうなのだろうか?と・・・
自分か参加したいくつもの講演会の場での要約筆記利用場面を思い起こしてみても、また理論的に考えてみてもこれは対処できない問題ではないかと。
いうまでもなく、トークや講演における”笑い”の到来は、たいてい瞬間的に訪れます。せいぜい1,2秒の間の決定的なできごとです。
それを、要約筆記で対応するなどというのは物理的に不可能です。たとえ全文に近い入力が可能なPC要約筆記の環境であっても同じです。
もし、要約筆記を利用していて、”笑い”の意味が5秒とか10秒後にわかったところで、そのタイミングで一人で大笑いできますか??? せめて人に知られないようにクスクス笑うのが精一杯でしょう。
ということは、要約筆記にそれを求めてはいけないということです。
通訳者の技量の問題でもありません。要約筆記とはそういうものであることを理解して納得するしかありません。
そういうと「その場の対等な社会参加」ができないじゃないか!といわれますが、その通りです。
要約筆記、それ以前に”情報保障”は万能ではありません。できないものは、できない・・・。
それに代わる方法については、またいろいろな考え方、アイデアもあるはずです。
くやいしですが、それが現実です。