松本城の危機管理
御徒士町(おかちまち)の武家屋敷
北深志(きたふかし)は長野県松本市の松本城の北にある地区。.
江戸時代当時は松本城下の外れにあり、
御徒士(おかち)町を境に、武家の「松本北深志町」と
町人の「松本南深志町」に分かれた。
戦後になりこのあたりが「北深志」に指定されて北深志の地名は残ったのに対し、
南深志は「深志」や「中央」といった地名に改められている。(以上はネットから引用)
・・・・ネットの記事をコピペしたって、面白くもなんでもない。
要するに松本城の
危機管理の問題なのです。
そもそも城というのは、
♪ 流れる雲よ 城山に
登れば見える 君の家・・・
の歌にもあるように、普通は高台にある。
敵が攻てきても高台にあれば、簡単には落城しない。
ところが松本城は平地にある。
敵が攻めてきたらどうするか。
ここに、非常に大胆な戦略があった。
城の北側(北深志)を武家屋敷として、
若い屈強の武士たちを住まわせた。
南側(南深志)には町人を住まわせ商業地とした。
そしてその南深志に、やたらと神社・仏閣を作った。
城主が信心深かったからか、
いや、そうではない。
敵が攻め込んできた時、武士たちの集合所としたわけである。
城の南は、たとえ火の海となっても、
武家屋敷は城の北にある。
武士たちは自分のねぐらを確保したうえで、安心して戦える。
では、敵が北から攻め込んできたらどうするか。
ところが、北からの攻めは考えられない。
山が急峻すぎるから。
松本城の危機管理はこのように大胆であった。
実際には、松本城が攻め込まれたということは一度もない。
だから、松本は、南深志を中心とする立派な商都となったわけである
・・・・
以上の話を、小学校のときに聞いて、胸をわくわくさせたものだ。
(ROKU)
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