難聴者のサインランゲージ」としての手話を
木曽へ! 中央西線(塩尻駅)
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≪つぶやき万華鏡≫
「サインランゲージ」としての手話も
私は中途失聴の難聴者です。
人生の途中から、だんだんと聞こえなくなり、
県内の病院や全国のあちこちの大学病院で検査・診察を受けました。
診断の結果は原因不明で治療手段がないということでした。
その段階で私自身は、これは運命として受け入れるしかないと思うようになりました。
補聴器を使って、確かに音は大きく聞こえますが、
相手の言葉を認識しようとする場合には十分に役立つとは言えません。
家族にもそれなりの心構えで対処してもらえるようになるまでには長い年月がかかりました。
「聞き返し」「大声」「行き違い」「険悪な雰囲気」・・・
“文明の衝突”とも言っても大げさではない。
何度も何度も衝突を経験した結果、
家族もだんだん私の運命(家族の運命)を「受容」できるようになりました。
さらなる問題は、親戚や来客、隣近所とのお付き合いです。
「聞こえない」ということを除けば
普通の人間と変わりのないピンピンした人間が目の前にいるわけですから、
相手は私が重度の障害者であるということが理解できません。
補聴器を使っても、結局は会話が不成立で双方が困ってしまいます。
「書いてもらわなくては絶対わからない !」
そう宣言してしまう方が相手も対処の仕方がわかるし、
双方にとって気が楽です。
今では隣近所にもそう宣言し、
隣組の寄り合いなどには要約筆記者(通訳)とともに参加しています。
通訳がつくことで地域の行事などにも気楽に参加出来るようになりました。
今後は、要約筆記通訳を利用することと同時に、
ろう者の立場ではなく、難聴者として、
「
サインランゲージとしての手話」、
をやっていきたいというのが現在の心境であり、
これからの展望でもあります。
(ROKU)