中途失聴・難聴者にとって手話とは
「やまびこドーム」(於 信州スカイパーク) Photo by T.Sato
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2014.8.19
<つぶやき万華鏡(投稿記事)>
中途失聴・難聴者にとって手話とは
聴覚障害者に関するいくつかの誤解のうち
「聴覚障害者=手話」
という誤解は、世の中の誤解(迷信)の最たるものであろう。
実際には、聴覚障害者のなかで、手話を第一言語とする者の割合は非常に少ない。
中途失聴・難聴者の大多数は手話ができない。
「
手話ができない」
というよりも
「
手話をやらない」。
実際に、中途失聴・難聴者が現実の社会・職場でやっていくなかで、、
「手話ができなければ困る」
という場面は、(特別なケースを除いては)ありえない。
「手話でなければ通じない病院」
とか、
「手話でなければ通じない役所」
などの話は、
現実には聞いたこともない。
地域や隣近所でも、手話は使われない。
家庭でも、ことに中途失聴・難聴者の家庭では、
家族が手話を使えない。
中途失聴・難聴者にとって手話は、
手話通訳(ろう者との仲介)をするためのものではなく、
仲間同士の、
コミュニケーションの
手がかりとしての一手段にすぎない。
手話は、
中途失聴・難聴者が必ず学ばなければならないというものではない。
いくらかでも手話を知っていれば、
難聴者仲間同士の、
とりわけ、手話ができる聴者とのコミュニケーションで、
やはり便利で、
楽しいものであることを、、
私も大いに実感しています。
ただし、それは、私にとって、あくまで、
非日常
である。
手話は、
やらなきゃやらないでもすむことである。
手話は、(もしやるなら)
むしろ、遊び半分に、
大いに楽しめばいいと思う。
(ROKU)
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