2013年09月09日 09:14
東京オリンピック1964の思い出
1964年10月10日
前日までの雨がうそのようにあがった。
「世界中の青空をかき集めたような東京の空」
とアナウンサーが表現した。
私はあのころは、まだ聞こえておりました。
開会を告げるファンファーレ。
アベベが独走したマラソン。
2位で競技場へ入ってきた円谷(つぶらや)選手。
第2コーナーでイギリスのヒートレーにかわされたが、
メイン会場に初めて日の丸が上がった。
東洋の魔女といわれた女子バレーボール。
回転レシーブで、拾って拾って拾いまくる。
決勝のソ連との試合では
「サーバーは宮本、さあ、金メダルポイントです」
と絶叫するアナウンサー。
当時は9人制バレーでサーブ権のある方が決めないとポイントにならない。
最後の1本がなかなか決まらずサイドアウト(サーブ権の移動)をくり返した。
「さあ、金メダルポイントです」
の言葉は7回繰り返された。
日本期待の柔道無差別階級で神永選手が
オランダの大男ヘーシンクに押さえこまれた。
・・・「ああ、くやしいなあ」日本全国がそう思った。
長野県に関係しては、
ファンファーレの曲は諏訪の藤森さんが応募した作品。
女子ハードルの依田郁子、スタート前の独特な逆立ち(とんぼ返り)。
・・・・昨日のことのようだ。
(TS)