2010年09月20日

体験発表(飯田「聞こえの相談会」にて)その1

体験発表( 於 飯田「聞こえの相談会」) =その1=
                             <会員の新撰組氏からの投稿記事です>

私は終戦後に旧朝日村(現・上伊那郡辰野町)で生まれました。
2歳の時肺炎にかかり、ストマイによる治療のために聴力を失いました。

幼児より言葉の獲得が遅れ、名前を呼ばれても振り向かないなど、親が心配していました。
また、持病もあり、信大病院や諏訪日赤病院など転々として通院していました。
戦後の混乱期のために、良い医者や薬もありませんでしたが、今日まで成長しました。

就学時期になり、松本ろう学校に入りましたが、なぜ「ろう学校」へ入れられたのか、当時はよくわかりませんでした。

入学式の翌日の朝、親につれられて寄宿舎に入りました。
授業を終えて学校から寄宿舎に帰ったら、親たちはいませんでした。
新入生がみんな泣いていました。
もう親元を離れ、ここで生活するんだなと思いました。

春・秋の農事休みと夏休み・冬休みの前日、親たちが迎えに来てくれました。
帰省を楽しみにしていました。
休みが終わるとまた寄宿舎へ戻らねばならず、戻るのがいやで泣いて親を困らせました。
                             <・・・・・・続く>

  


Posted by 六万石 at 11:55Comments(0)体験談

2010年09月21日

体験発表(飯田「聞こえの相談会」にて)その2

体験発表(飯田「聞こえの相談会」にて)その2                                          
                       新撰組 (協会員の投稿記事)

松本ろう学校の中学部になり、自宅から学校へ片道で2時間あまりを、列車で通いました。
しかし冬季には、朝は暗いので起きられない、帰宅すると真っ暗になってしまうということで、寄宿舎に入りました。

高等部になってからは年間を通じて自宅から通学しました。
当時は電車ではな「D51」.。
いま振り返ると、機関車の汽笛がなつかしいなあ・・・。

ろう学校を卒業して、仲間はそれぞれの道に別れ、就職しました。
ろう学校では聞こえない者が全てで、手話による対話に慣れ親しんでいたが、社会に出てみると、世の中、手話を知らない健聴者ばかり。
環境が異なって人間関係の難しさを感じました。
勤務先の職場では聴覚障害者と一緒だったので手話で対話していると、周りの健聴者が珍しそうにジロジロ見ていました。

現在では手話が当たり前に認めれる世の中になり、時代が変わったことをつくづく感じてます。
<・・・・続く>

  


Posted by 六万石 at 03:31Comments(0)体験談

2010年09月22日

体験発表(飯田「聞こえの相談会」にて)その3

体験発表(飯田「聞こえの相談会」にて) その3                                                      
                               by 新撰組 

ずーと、定年退職までサラリーマン生活でした。

過去を振り返ると、最初に勤めた製造業の会社が倒産、2度目の(製造業の)会社も、これまた倒産で解雇されました。最悪でした。2回目のハローワークへ。再就職のため、失業保険をもらいながら職を探しましたが大変でした。ある企業の募集を見たら人材を求めるのに資格や特技や年齢制限もあり、厳しいものでした。

愛知県障害職業訓練校を紹介してもらい、1年間、自宅を離れて訓練校の寄宿舎に入りました。訓練校で知識を学び、修了後、自宅へもどりました。
ハローワークの紹介で伊那市の電気メーカーに再就職、以来、定年退職まで勤務しました。

職場では上司から与えられた仕事を「出来ません」「無理です」と断るのではなく、よし、やるぞ!とチャレンジしないとダメだと思います。コミュニケーションでは電話の対応が多いのですが、聴覚障害者は不可能で、昇進になれないケースがあります。

私はリビング・サービスの部門に異動となり、メール業務を主にやっていました。各部署からの電話で注文を受けたコピー用紙の入ったダンボール箱を配達したり、守衛所から「郵便物がきました」と電話の知らせを受けたりしました。普通の電話だと聞き取りにくく不便を感じて、「難聴者用電話を取り付けてもらいたい」と会社にお願いしました。
会社は難聴者用の電話というものの存在を知らなかったらしい。普通電話よりも音量の大きい電話であることを説明し、上司に理解してもらい、設置してもらいました。

職場の小集団でミーティングがあり、話題があちこちと飛んで理解できなかったり、早口で聞きとれなかったり、残念でした。
こういう仲間に加わりたくないという気持ちになることがたびたびありましたが、弱虫と自分が分かっていて、子供ではない、大人だからと自覚しないとダメだと思いました。
同僚との一対一の会話ではゆっくりと話ができ、理解できて、大変良かったと思います。
                                     <・・・・続く>
  


Posted by 六万石 at 09:49Comments(0)体験談

2010年09月23日

体験発表(飯田「聞こえの相談会」にて)その4

体験発表(飯田「聞こえの相談会」にて) その4(最終回)                                   by 新撰組

趣味は音楽鑑賞です。未就学の時季節保育園で歌に目覚めたのがきっかけです。
ろう学校では音楽の授業はありません。学校から帰宅して夜間に、歌と演奏を聴いて、歌手がカッコウいいなと憧れました。
若い頃はレコードで聞いたが、現在はCDに変わり、小さくて収納もしやすくなりました。たびたびCDを買って愛車で聴いています。自宅でもヒマな時にラジカセで聴いて癒されています。
しかし、車の中でのラジオ放送は、早口なので分かりません。プロ野球の生中継もアナウンサーが一生懸命しゃべっているようですが、聞きとれません。

最後に、スポーツ関係で、サッカー、プロ野球などにも興味があります。
オリンピックの、ある選手のインタビューでのコメント
「夢をあきらめないで。可能性が現れます」との言葉が、すばらしく、強く印象に残っています。

ご静聴ありがとうございました。
  


Posted by 六万石 at 14:09Comments(0)体験談