2014年10月07日

感音性難聴者の「聞こえ」

<つぶやき万華鏡>

「名前は何だい」
「ワンワ」
「サンタか」
(違う)
「もう一度言ってごらん」
「ワンワ」
「ゴンタか」
(うなづく)

「おまえの名前はベンジャミン」
と教えると、それを記憶するのだ。
それ以後、お名前は? 
と聞かれると、こう答える。
「ワンワワン」

清水義範「野良愛慕異聞」より引用。


・・・このくだり、
私(感音性難聴者)の
補聴器を通じての
「聞こえ」

に似ている。

2014.10.7  (R)  


Posted by 六万石 at 18:57Comments(0)耳鳴り・難聴難聴者の日常

2014年06月20日

聴者の耳鳴り体験


咲き乱れるバラ園(後方の建物は豊科近代美術館)                                                                                     
薔薇白し暮色といふに染まりつつ      後藤 夜半


【掲示板】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆長野難聴7月定例会:7月19日(土)~20日(日) 大鹿村塩湯荘
☆第16回 関東ブロック女性部一泊研修 11月8日(土)~9日(日)
  会場:片倉館   宿泊:朱白 
 →画面左のサイドバーのカテゴリ「関東ブロック女性部一泊研修」」をクリックしてください。
☆要約筆記付きイベント『しあわせ信州食育フェスタ2014』 6/21~6/22
  於:エムウェーブ http://www.syokuiku2014.jp/
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<つぶやき万華鏡>

         聴者は耳鳴り体験が可能か

健聴者が難聴者と同じ体験するのは可能であろうか。
「耳栓」
をすればいい。

しかし、耳栓をしても、体験できないのが耳鳴りであろう。

意味のない雑音が流れてくる特殊なヘッドホンがある。
別に難聴者体験・耳鳴り体験」のために開発されたものではないらしいが・・・

(地域の)要約筆記講座でこれを体験した受講生が
「なにか雑音のような音が流れて、聞こえを邪魔していた」
と仰っていた。

なるほど、こういう状態の中で難聴者は暮らしているのだな、と、
ある程度ご理解いただけるかもしれない。

私も、そのヘッドフォンを試してみたが、私の耳には何にも聞こえなかった。
100デシベルを超える私の耳に、外部からの「雑音」など聞こえるはずがない。
内部からの「雑音」、すなわち耳鳴りは、消しようもないが。

ヘッドフォンには、一体どういう雑音が、どの程度に流れているのだろうか。
その雑音というのは、私の耳鳴りと同じような音なのだろうか。

難聴者の耳鳴りは、耳で鳴っているというより、
頭の中で鳴っている。

個人差があり、一人一人、全部違う。

自分にだけ聞こえて、他の人には聞いてもらえない音。
それが耳鳴りだ。
                                        (ROKU)
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Posted by 六万石 at 05:41Comments(0)耳鳴り・難聴歳時記

2012年09月06日

障害者の「受容」について

CS障害者放送統一機構「目で聴くテレビ」の「みるっく」(熊本県聴覚障害者情報センター制作)で、「難聴あれこれ」のコーナーで、難聴の後藤香織さんが、ご自分の難聴の履歴をお話していました。

小学校4年のとき、めまい・耳鳴りが始まり、その後少しずつ聴力が低下した。
原因はメニエール病。
中3の時から補聴器をかけるようになった。
学校は、小・中・高・大と、すべて通常学級。
授業ではFM補聴器を8年間使った。
FM補聴器とは、先生に小型コイル(マイク)をつけてもらい、
FM電波を受信機でとらえて聴く。

感音性難聴のため、補聴器を使っても、似ている音の聞き分けができない。
静かなところで、1対1の会話ならなんとかできるが、
騒がしいところや、グループの会話はできない。

聴力の低下とともに友人や家族とのコミュニケーションがとれなくなった。
周りは聞こえる人ばかりで、聞こえないのは自分だけ。
「本来の自分ではない」という思いのまま大人になった。

「今の自分でいいのだ」と、思うようになったきっかけは、難聴の仲間との出会い。
手話も覚えてコミュニケーションができるようになり、
同年代の友達もできて、今では「自己肯定感」が得られ、
明るく前向きになった。(要旨)

障害の 「受容」という内容を
「いまのままでいいんだ」=「自己肯定感」
という表現で、
分かりやすく述べてくださったと思いました。(ROKU)
<塩尻地域難聴者会ブログ「アシタドーナル」から転載>

  


Posted by 六万石 at 06:15Comments(0)耳鳴り・難聴

2012年06月12日

詐欺に注意

<長野県聴覚障害者情報センターHPに「詐欺に注意」という記事が出ています>

最近、聴覚障害者を狙った詐欺被害が続出しています。
サイトによると、
■販売や入会の勧誘を目的とした説明会(手話通訳付きのケースが多い
■お金を投資すると、高額な利益がある
■会員を増やすと、褒賞としてお金をもらえる
など。
楽してお金は稼げません!
先輩や、ろう協の会員会員からのお話でも、信用はせずお金を渡す前に、まずはご相談ください!

と、ありました。

一方、松本市民タイムスで、
原発事故や震災関連で、「売電」のことを(訪問販売で)必要以上に強調して説明されて太陽光発電を設置したが、当初の説明よりも発電量が少ないというものや、(災害の)不安な気持ちに付け込まれて不必要な屋根や壁の補修工事を契約してしまったなどのケースもある。
という趣旨の記事も目にしました。

「耳鳴りの止まる○○茶、ハチノコ」という通信販売の広告は、大昔から目にします。
効果には個人差があります・・・ということですが、その個人差で、「効果があった」という難聴者には、いまだかって出会ったことがありません。「聞こえの相談会」の関先生も否定的でした。

気を付けましょう。(R)
  


Posted by 六万石 at 09:39Comments(0)耳鳴り・難聴

2011年06月21日

耳鳴り(4)

<投稿記事です>

その後、職場に復職する際には、紆余曲折がありました。
1年間職を離れて治療しても、全く難聴は改善されず、耳鳴りは以前にも増してゴウゴウとなっている。
その状態で、職場に戻れるのかという不安があった。

組合役員に付き添ってもらい、何度も復職の交渉をした。
「耳の聞こえは少しずつ改善されている。ことに耳鳴りは完全になくなった」
と、ウソを言い、なんとか復職することができた。

それ以後、何度も耳鼻科を変えて、新しい薬を処方してもらったり、あるいは漢方の薬を試したり、カイロプラクチック(整体治療)をおこなったり、手をかえ品をかえて治療を試みた。

しかし難聴は4級→3級→2級とすすみ、耳鳴りもおさまることがないまま、
現在に至っています。
                                     (終)


  


Posted by 六万石 at 08:48Comments(0)耳鳴り・難聴

2011年06月17日

耳鳴り(3)

<投稿記事です>

耳鳴りがひどく気になるようになったのは、それから5年後、
昭和48年ごろからである。

世界史的には、中国の「文化大革命」のさなかで、
日本でも「毛沢東語録」という赤い手帳型の書物が翻訳され売れていた。

当時のテレビのワイドショウで、「中国式のハリ治療」が紹介され、
「見えなかった目が見えるようになった」
「立てなかった腰が立てるようになったと」
「聴こえなかった耳が聴こえるようになった」
「耳鳴りがウソのように消えた」
との話題を提供していた。

中国針(鍼)の治療効果のメカニズムは名古屋大学医学部でも研究中であることが、
「しんぶん赤旗」(日曜版)で紹介された。

中国ハリによる治療に最後の望みをかけ、私は、休職して上京し、
治療に専念することを決心した。

JR山手線大塚駅近くのビルの一角に「K治療」があり、
中国で直接学んできたという鍼灸師が耳専門の治療院を開いていた。

中国式のハリは日本のそれよりも一回り太くて長い。
何本も耳のまわりのツボや天頂(頭のてっぺん)にもさして、
ハリネズミのような状態で20分~30分、そのままじっとしている。

治療院では、当時の日本共産党議長・野坂参三と隣り合わせたこともある。
「1970年代の、そう遅くない時期に、民主連合政権をうちたてます」
と、野坂議長の目は、キラキラと輝いていた。

1年間続けたが、「私には」聴力の改善は全くなかった。
かえって耳鳴りはゴウゴウと鳴り出した。

(続く)                        posted by ROKU


  


Posted by 六万石 at 08:41Comments(0)耳鳴り・難聴

2011年06月15日

耳鳴り(2)

<投稿記事です>

昭和43年
佐久の地から諏訪湖畔の職場に転任。
年齢的には三十歳代の前半であり、
普通なら一番働ける年齢ではあった。

そのころから難聴をはっきり自覚するようになり、
長野県内の耳鼻科クリニック、信州大学医学部付属病院をはじめ、
最終的には「つて」を頼って、東京大学医学部付属病院で診察・検査をしてもらった。

様々な病院で、いずれも似たような検査があって、
どこの耳鼻科でも診断は同じ。

「原因不明」「治療の手段はない」

だった。

日中には、耳鳴りはほとんどなかった。
仕事で追いまくられていたから気にならなかったのかもしれない。

一日の仕事が終わって床について、
まどろみに入る寸前に、
「キーン」
というかなり激しい音が10数秒間、
耳のなかというよりも頭のなかで鳴っていた。

しかし、その「キーン」がおさまると、睡りが確実にやってきたので、
耳鳴りは、さして気になるほどのこともなかった。(続く)

(Posted by ROKU)



  


Posted by 六万石 at 07:35Comments(0)耳鳴り・難聴

2011年06月14日

耳鳴り(1)

<投稿記事です>

自分が難聴であることには、いくらか気づいてはいたが、
それは軽度で、あまり気にならなかった頃、
出張で信州から福井まで、
夜行列車を利用したことがある。

直江津からの列車はほぼ満員で、
固い背もたれと車内の明るさのため、
なかなか寝付かれなかった。

それでも、うとうとと、
浅い眠りも少しはあった。

列車は日本海を右に見て走る。
ずーっと、潮騒が耳に聞こえた。
(ような気がしていた)

福井市にはいり、列車は海から遠ざかった。

海が視界から消えても、
なお潮騒の音が聞こえていた。

あとになって、
それが「耳鳴り」であったことを知った。

東京オリンピックの年、
昭和39年であった。  (ROKU)

・・・明日に続く・・・

  


Posted by 六万石 at 07:56Comments(0)耳鳴り・難聴

2011年05月23日

聞き返すたびに声が大きくなって・・

<「アルプス」72号から>

「アルプス」72号の「定例会レポート」(須坂市)の記事「ストレスって、どんなこと?」の中で

(自分は)話すことができるので、私が聞こえないことを主人が認識していない。聞こえないと(主人が)怒るので、どうやって理解をふかめていくか、
また、89歳の義母も聞こえにくくなりて会話が成り立たない。どのように付き合っていったらよいか。


という話が出ていました。身につまされる発言です。
私の家庭の場合でも同じです。
話をしているとき、私が聞き返すごとに女房の声がだんだん大声になって
最後には喧嘩のようになってしまいます。
本当に困ってしまいます。            (会員より)

下記のブログに関連記事あり>
http://rokumangoku.naganoblog.jp/
  


Posted by 六万石 at 21:37Comments(0)耳鳴り・難聴