2014年05月03日

佐村河内って、何だったのか(1)

全ての聴力を失う絶望を経て、
真実の音=「闇の音」を探求する精神の旅へ!
「絶対音感」を頼りに《交響曲 第1番》 を完成!・・・・

・・・すごいなあ、と思っていた。
絶対音感という用語がよくわからないが、
きっと、
「聴こえなくて聴こえる」
のだろう、
天才とはそういうものだろう、

まあ、いってみれば、視力がなくても目が見える
座頭市
ってもんだなあ、、
ぐらいに考えていたが・・・。

実はゴーストライターが存在したという報道。
残念である。

翻って、難聴者も
「耳では聴こえないが心で聴こえる」
と言うような言い方は、
止めた方がよいと思う。

===会員ブログ「難聴者のアシタドーナル」(2014.2.12)から引用

(この項、続く)


  


Posted by 六万石 at 18:39Comments(0)佐村河内

2014年05月06日

佐村河内って、何だったのか(4)

<会員ブログ「難聴者のアシタドーナル」から引用>

佐村河内が語った数々のことのうち、

「(難聴者は)音は聞こえますが言葉としては聞き取れないんです」

この部分は、
当ブログの読者レベルでしたら、どなたもご存じのように、
「ほんとう」
のことなんで・・・。

それを、あの大嘘つきが、
「天地神明にかけて」
言ってしまったもんだから、
世間には、
「嘘だ、嘘だ!」
とされて広がってしまった。・・・

だから私たちは非常に困っている。
2014年03月19日   


Posted by 六万石 at 09:11Comments(0)佐村河内

2014年05月07日

佐村河内って、何だったのか(5)

佐村河内某の謝罪会見

「感音(性)難聴」
とか
「口話」
とかの用語が独り歩きして、
世間に誤解を与えかねない。
困るなあ。

そもそも、中途失聴者が要約筆記通訳を使わずに、
手話通訳と言うのも、不自然だ。

【聴こえない人】=【手話】
というような世間一般の無知に付け込みやすいからか。
そういうことも計算に入れてのパフォーマンス。
・・・だったかもしれない。

手話の出来る記者はいなかったのかなあ。
音声抜きで、
手話だけで質問のやり取りをしてみれば、
はっきり決着がついたかもしれない。

<会員ブログ:難聴者のアシタドーナルよr引用>


コメント
「佐村河内って、何だったのか」

・・・ コメントありがとうございました。
佐村河内の件は
聴覚障害にかかわる、
いくつかの誤解と偏見を世間にばらまいたまま、
フェイドアウトしていきそうだ、

ハッキリしておきたいのは、彼が健聴であれ難聴であれ、
全聾と偽っての売名行為は障害者に対する冒涜である。
  


Posted by 六万石 at 17:40Comments(3)佐村河内