2013年10月15日

牛伏川フランス式階段流路探訪(2)

牛伏川フランス式階段流路探訪(2)

新潟港を埋めた元凶は牛伏川の氾濫 !
牛伏川は上高地からの梓川や川中島で出会う千曲川に併せて日本海にそそぐ信濃川内奥のわずか9㎞の枝川ですが、階段工を喉元とする背後の多くの谷は、300年前の元禄のころから記録に残るだけでも15指をこえる土砂災害を里に与え続けてきました。そして明治開港5港の一つ、300㎞下流の新潟港を埋めたのは牛伏川の氾濫がその元凶とさえ言われ続けてきました。
(牛伏鉢伏友の会の資料より)

政府は明治18年からこの水系の抑えにかかりました・幾多の谷の合流点や急流箇所に石組み堰堤とともに流路や護岸を築く一方、斜面には尾根に至るまで石垣状の”山止め”を築いて地山を抑え、さらに山を削って木を植え、(中略)大正5年に階段工の施工が開始されました。(同資料)

内務省は”本場アルプス”を控える当時の砂防先進地フランスに派遣していた池田圓男(まるお)技師を牛伏川の流路設計に当たらせました。池田はローヌ川支流・デュランス川サニエル渓谷の「階段式流路」設計をもとにして、ここ牛伏川に長さ141m間に19段の階段式流路を完成させました。(同資料)

牛伏川フランス式階段流路探訪(2)

牛伏川フランス式階段流路探訪(2)
薀蓄(うんちく)をかたむけたボランティアガイドの方々の説明が圧巻でした。

牛伏川フランス式階段流路探訪(2)
体操のお兄さんのような若いボランティアの方は、即席の手書きで図解してくださっていた。



Posted by 六万石 at 08:33│Comments(0)
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