2012年04月02日
補聴器
<アルプス万華鏡 投稿記事>
補聴器で自分の声を聴いています
難聴も両耳100デシベルを超えると、
どんなに高額の補聴器を試しても、
音は大きくなるが、言葉として聞き取れない。
役に立たない。
だから、普段は
「耳が不自由です。手話か筆談でお願いします」
というカードを持ち歩き、補聴器は使っておりません。
でも、挨拶などをするときには、やはり補聴器は必要。
補聴器がないと自分の声が聞こえないので、話が支離滅裂となります。
私は補聴器を、自分の声を聴くためだけに使っています。(R)
補聴器で自分の声を聴いています
難聴も両耳100デシベルを超えると、
どんなに高額の補聴器を試しても、
音は大きくなるが、言葉として聞き取れない。
役に立たない。
だから、普段は
「耳が不自由です。手話か筆談でお願いします」
というカードを持ち歩き、補聴器は使っておりません。
でも、挨拶などをするときには、やはり補聴器は必要。
補聴器がないと自分の声が聞こえないので、話が支離滅裂となります。
私は補聴器を、自分の声を聴くためだけに使っています。(R)
Posted by 六万石 at 05:58│Comments(1)
│補聴器・人工内耳
この記事へのコメント
私も昨年まで両耳100dbでした。人工内耳の手術を受け、今はかなり聞こえが良くなりました。 中途失聴者は音のある世界をある程度知っている為に、出来ることなら健聴者の世界で対等に生きていきたいと考えます。 自分の声を聴くために補聴器を使うのも音のある世界に生きる為だと思います。
ごく自然な考えですし、前向きに生きるために必要ですよね。
ごく自然な考えですし、前向きに生きるために必要ですよね。
Posted by <M> at 2012年04月02日 20:50