2015年01月22日
難聴者の説明責任
Photo by T.Sato
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪つぶやき万華鏡≫
時には聞こえているかのような・・・このやっかいな障害
思えば昭和30年代から40年代、
私は軽・中度難聴の時期を経験している。
中途半端な聞こえのせいで他人からは
「聞こえている?」
と思われることがとても多かったような気がする。
自分が聞こえていないということに気付かないでいる時間の方が多かった。
テレビから流れる歌のメロディーも歌詞も自分では聞こえているように思っていた。
♪ 別れに星影のワルツを歌おう
を
♪ 別れに星影のワルツ だよ~
あるいは
♪ 会わ なきゃ 夜が やるせない
を
♪会わなきゃ よかった やるせない
などと歌っていて
他人に指摘されるまでは気が付かなかった。
会議のときなども、
「こういうふうに決まった」
と、後から教えてもらって、
自分が聞こえていない部分に気づくことが多かった。
今、軽度難聴である多くの仲間を見ても、、
どうもそんな気がする。
難聴者とは
聞こえているような、
聞こえていないような状態であること、
ABR検査で、たとえ脳が音に反応しても、
言葉として伝わらない状態であること、
補聴器にしても、
1対1で、静かなところでは有効であるが、
3メートル以上離れると、
どんなに高額な補聴器でもコミュニケーションが難しくなるということ。
人工内耳は現代医学の輝かしい成果であるが、
それによって健聴者とまったく同じレベルになるわけではないということ。
そういうことを社会に向かって、
当事者(難聴者)自信が、きちんと説明する、
説明できる、
そういうことが重要であると思います。
2015.1.22 Thur.
(ROKU)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・